双子の言葉があふれるように出てきました。何か気に入らないことや思い通りにならないことがあると「もう帰る」と叫ぶのです。もちろん自宅で。そのままカーテンのなかにくるまったり、毛布にくるまるのです。なんとか皆様にお見せしたいです。
さて話変わりまして「延命治療」という言葉を最近よく考えます。人工呼吸器や点滴、胃ろうなど、医学の力で生命をできるだけ長く保とうとする医療行為のことです。高齢のご家族がいらっしゃる方であれば、「自分は延命治療は望まない」といった話を事前に交わした経験がある方も多いかもしれません。
しかし現実には、「延命は望まない」という言葉だけでは解決できない、非常に難しい判断の場面が訪れることがあります。
例えば、私の身近な家族の例でも、事前に「管だらけになってまで生きたくはない」「自然な最期を迎えたい」と話していたにもかかわらず、いざ命の危機が迫ると「少しでも生きる可能性があるなら」と、気管挿管(人工呼吸器をつける処置)を選ばざるを得なかったというケースがありました。これは医師の家庭でさえ起こることです。父親が「挿管はするな」と言っていても、息子である医師が「助かる望みがあるなら」と判断してしまう──それほどまでに、現場の判断は重く、複雑なものなのです。
気管挿管とは、口や鼻からチューブを入れて呼吸を確保する医療行為で、命をつなぐ最後の手段とも言えます。挿管をすれば命がつながる可能性はありますが、その後は人工呼吸器に頼る生活になるかもしれません。逆に、挿管をしなければ自然な最期を迎えられますが、「まだ助けられたかもしれない」という後悔が残ることもあります。どちらが正解とは言い切れず、家族ごとに価値観も答えも異なります。
だからこそ大切なのは、「そのときが来てから考える」のではなく、元気なうちに本人・家族・医療者がよく話し合っておくことです。「どの状態までなら治療を希望するか」「意識がない状態でも延命してほしい」「人工呼吸器や点滴など、それぞれについてどう考えるか」といったことを、紙に書き残したり、主治医と共有したりしておくことが、後悔のない選択につながります。延命治療は「生と死」の境界線に関わる、非常に重い決断です。だからこそ、普段から冷静に話し合い、準備しておくことが、本人にとっても家族にとっても、最良の選択になるのではないでしょうか。